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儀式(ceremony)

 プライベートな事象は綴るまい!と決めていたが、書かずにいられなくなった。自分も普通の人間で、なんの変哲もないタダの市民だと言う事に気づいてはいるが、少しこだわりが強い(笑)・・・。母親が亡くなり11日が過ぎようとしている。葬儀を終え兄妹で母の遺骨を母の自宅に安置した。久しぶりにメイ夫婦の近況もつかめた。貴重な事だ。そして母の菩提寺を訪れ御住職に『御本尊』の掛け軸をお返しし菩提寺の本堂にて御経を上げてもらった。寺の本堂は荘厳にして静粛な空間だ。巨大なロウソクが灯り、その様相を、出来る事ならば4Kカメラに、収めたかったと後日、考えた。しかし、そのような時間の記録が出来ようはずもなく、時は過ぎ去ってしまう。母を荼毘にふし、お骨を兄弟姉妹で拾い、骨箱に収め母の自宅に安置する事以外に何も思いつかない。葬儀屋も実は閑散としていて儀式はあるものの親族関係その他の人影はまばらだ。しかも斎場も入場制限で5人までしか入場できない。火葬が終了するまで兄弟姉妹にて想い出話に花が咲いた。生前の父母達の時代背景は現在とは比べものにならないほどの制約の多い現実があった。まず第二次世界大戦の真っただ中であり、紙切れ一枚で軍隊に組み込まれる。父の話によれば現在の三沢基地にも配属され、その任務をこなしたが元々、父は軍人ではない。母方の兄達もレイテ沖海戦などで戦死している。おじさん達の遺骨などは無い。81年前のJAPANの戦争突入の結果の事実が一般市民の我々の目の前に広がっている事が認識できる。毎年、お盆、母の兄達の石碑に花を供え、ロウソクを灯し、線香をいぶし、祈りをささげるがセミの鳴き声だけが墓場に響く。ご住職の、お経は亡き骸の成仏と自分達、残された親族の安寧を謳っているが如くに聞こえ、自分の身が引き締まった。108もの煩悩を繰り返し、繰り返し、身に付けて暴れる自分が見え隠れし、慈悲の1つも持たない自分を恥じなければならない。欲望を我が物として生きる自分の姿を映し出し、その姿を滅却したいような気分にもなるが無理だろう。自分には。(太郎)