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大江戸八百屋町

 江戸の街並みは先の大戦や関東大震災で焼き尽くされて当時の面影は数少ない絵図などを見るほかないだろうが町人その他50万人、武家50万人、合わせて約100万人の世界有数の大都市だったという事だ。現在全国に城跡が約30000ヵ所、身分制度的には恩師に教わった通りで士農工商との事で、一般市民は武士に切り殺されても申し立ては出来なかったのだろう。法の下の平等などはついこの間、始まったばかりで歴史的には100年も経過してはいない。生産人口の農工商と消費人口の武家との言わば生産と消費の社会的構造は、おおまかに見れば単純な経済社会でほぼ自給自足との見方もできる。その当時、他国との貿易はソコソコ少ない。現在のような他国からの消費材に頼るような経済社会ではなかったと認識できる。JAPANだけではないだろうが消費材の輸入が滞ると、どこの国も弱い面を露呈してしまい市民生活は、ひっ迫する。江戸の町が大火で壊滅⇒復興⇒また大火で焼失⇒復興⇒1945年焼野原⇒復興⇒現在。これを繰り返す大都会東京。遷都構想はどうなったか?(太郎)