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Showwa97年

 昭和元年に生まれた人は現在97歳になると思う。昭和の時代は激動と絶望、そして繁栄が共存していた時代で、その後、興奮と希望の星が輝いていた時代ではなかったか。敗戦から国家の存亡と復興を目指し経済が成長してJAPANのアルファベットを世界に示した。日本発の数々の発明もあったのでは?100年間の間、何か進歩はあったのだろうか?と素朴な疑問にぶち当たるのは自分だけか?超高速新幹線列車が走り、巨大な航空旅客機が空を飛び、高速電波網が整備されて携帯無線電話機を個々に持ち歩き、世界中の誰とでも話が出来る時間を過ごしてはいるが日本民族の根底に、ある種のDNAが宿っているとすれば一体どのようなものなのか探る事は出来ないか。今年のお盆、2次大戦で戦死した伯父達の碑に線香とロウソクを灯した。遺骨はない。フィリピン・レイテ沖に散ったからだ。自分の母親の兄達であり、存命ならば100才を超えていただろう。一人は海軍に志願して入隊したとの事を生前の母から聞いた事がある。伯父の戦没追悼石碑の裏に刻まれた文字を毎年読むのだがレイテ沖海戦の文字とバギオ島の文字を記憶している。すさまじい戦闘で太平洋上に散ったのだ。まるでその戦争映画そのものだっただろう。今年2月、母が97才で他界したが生前、母の兄達の話も聞かされた。一人は既に菓子職人として所帯を持つ寸前だったと言う。もう一人は海軍に入隊したくて、たまらなく、その希望が叶ったと言う事だった。二人とも戦死してから78年が経過した。語りつくせぬ、その当時の日本民族の生きざまと世界との関わりは歴史に刻まれたが、その内容を想像すると、もはや絶句せざるを得ない。(太郎)