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昭和96年

 岐阜県に住む学生時代の友人から、『もう冬用のタイヤを取り付けたよ!』と便りが届いたが、あそこは雪は降るにしても大した事はないはずだがなぁ~、と思いつつも450年前の美濃の国を想像してみた。背後に御嶽山があり木曽川が流れる大地は、おおよそ日本の大地の中ほどあたりで海抜は60mくらいだと友人は言う。まわりには古城の跡が点在する安土桃山時代の、始まりにかかわりが深い土地柄で、織田信長の母、土田御前や明智城、岐阜城などと、その当時行き来があり、今のような交通機関がなかった時代だが明智光秀は主君、斉藤道三の許しと、出張命令により、盛んに諸国へ仕事として闊歩していたようだ。稲葉山城(岐阜城)は信長にとっては自分の妻の実家であり道三、義龍、龍興、亡きあと岐阜城と改名して執権を取り計らった場所か。現代風に言えば斉藤道三株式会社の社員だった明智光秀は本社の改編や倒産により失業してその後、織田信長株式会社の社員になり常務取締役にまで昇格したと言える。自分のパソコンの脇のカレンダーを、ふっ、と、見たら昭和96年と平成33年、令和3年、2021の文字が左片隅に印刷されていた。戦後に生まれた人間もトシは取るはずだなぁ~、と感じてはいるが中国が先進国の旗印を掲げて市場に大量の物資を投入している昨今、JAPANの心機一転巻き直しの手立てはあるのか?明智常務取締役にインタビューしてみたい。(太郎)